香正寺の歴史

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香正寺のあらまし

名称

長光山 (ちょうこうざん) 香正寺 (こうしょうじ)

宗旨

日蓮宗 (総本山・身延山久遠寺))

縁起

【 開山 】 可観院日延上人 (大本山・誕生寺第18世)

【 開創 】 寛永九年 (1632年)

開山、可観院日延(かかんいんにちえん)上人は、戦国武将 加藤清正に育てられました。
清正は、日延が法華僧として大成することを願い、物心両面の援護をしました。日延30歳の頃、宗祖生誕の地・大本山小湊誕生寺18世となり関東一円に多くの寺を建立します。
後に日延は、九州にて福岡藩2代藩主・黒田忠之公と毛利・黒田家の姫の長光院殿(ちょうこういんでん)の後ろだてを得て、現在地に9,000坪の寺地を賜ります。当時、新しくお寺を建立することが禁じられていたため、やむなく宗像の禅宗の廃寺「立国山香正寺」の名前を受けて、寛永9年(1632)に、日蓮宗に改め、「長光山(ちょうこうざん)香正寺(こうしょうじ)を開山します。多くの堂宇や五重塔等も有し寺門は大いに繁栄しました。
日延は在山28年、寛文五年(1665)に72歳でこの世を去りました。

上人橋(しょうにんばし)の由縁

寛永年間、黒田忠之公が相談役兼囲碁の友、日延上人(にちえんしょうにん)が登城しやすいように、香正寺と福岡城下の間に流れる小川(現在の国体道路 大名)に橋を架けさせ、その橋は、日延上人の名にちなみ忠之公が「上人橋(しょうにんばし)」と名付けられました。
現在、橋はありませんが、今でも香正寺の前の通りは「上人橋通り」と呼ばれ親しまれています。
忠之が揮毫(きごう)したといわれる「上人橋」と刻まれた橋柱は、当時の橋の袂(たもと)にあったもので、現在は、庫裏(くり)玄関前に移設保存されております。

江戸初期に作られた
「上人橋」と
刻まれた橋柱

歴代上人のお墓

(写真右側より)

  • ◎ 黒田直之公(如水の弟)のお墓。
  • ◎ 開山 ・可観院日延上人のお墓。
  • ◎ 開基檀越(かいきだんのつ) ・ 『長光院殿松月日浄大姉(しょうこういんでんしょうげつにちじょうたいし)』のお墓。
    *黒田忠之公の義姉。父方の祖父は毛利元就、母方の祖父は大友宗麟(おおともそうりん)
  • 黒田家の姫となり、日延上人の後ろだてとなり香正寺の開基檀越となる。
  • ◎ 当山歴代上人のお墓。
  • ◎ 寺族のお墓。

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