境内のご案内

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建物・施設のご案内

本道

耐震補強を施した本堂
本堂内部 本堂内部
椅子席で300名までの
対応も受け付けます。
本堂内部 本堂はすべて椅子席です。
エレベーターを完備しています。
納骨堂などへもやさしく
ご移動することができます。

長栄堂(脇堂)

本堂横の長栄堂は、平成11年11月落慶しました。南側のスロープは、車椅子の方にもご利用いただけます。

紫雲の間:多目的なお部屋
お通夜や会食などにご利用いただけます。

庫裡(くり)玄関

香正寺の庫裏玄関は1769年に再々建されました。『庫裏』とは、寺の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える場所という意味を持ちます。
現在では参詣者の方々の客間としても利用されています。

奥座敷

庫裏(くり)玄関奥のお座敷。

休憩場所

境内には、休憩場所があります。お手洗も併設しています。お墓参りやお掃除などの際にちょっと休憩できる場所です。

永代供養塔

境内の本堂前の陽当たりの良い場所に、永代供養塔を建立しています。

◆お墓、納骨堂、永代供養室、ペット納骨堂は、下記ボタンでご覧頂けます。

幕末の歌人大隈言道のお墓

大隈言道(おおくまことみち)は、福岡を代表する文化人のひとりです。
寛政10(1798)年、筑前福岡薬院(現・今泉)の商家の長男に生まれ、幕末を生きた天才歌人として知られています。
当時としては画期的な歌風で、庶民の暮らしや桜などの身近な自然を詠(うた)いましたが、認められず、没後、佐々木信綱(ささきのぶつな)により見いだされ、言道の歌は一躍脚光を浴びました。その後、言道の歌は英訳され、海外でも高い評価を受けています。
慶応4(1868)年7月29日、71歳でこの世を去った言道は、香正寺に眠っています。墓石の「萍堂言道居士」という文字は言道の絶筆が彫られました。

寺に伝わるお話

狐の恩返し

江戸時代、黒田家の御殿医(ごてんい)だった鶴原雁林(つるはらがんりん)というお医者さまがいて狐の恩返しにて「熱冷ましの薬」を伝授され、家業が繁盛したと言い伝えられています。
医者で儒学者だった彼の祖父の雁齋(がんさい)が、ある日わなにかかり生け捕りにされた一匹の狐を憐(あわ)れみ、新薬の調合に狐の生き肝が必要だからと譲(ゆず)り受け、そのまま逃がしてあげました。
三年後、雁齋が京都で学問修行中に突然高熱で倒れてしまいます。病床で苦しむ雁齋の目の前に、美しい女性が現れ、手厚く看病をし、その甲斐あって雁齋は九死に一生を得て全快します。雁齋が女性にお礼を言うと、実はこの娘は、三年前に雁齋が命を助けた狐だと言います。雁齋のお屋敷の片隅にささやかなほこらを建ててくれれば役に立つことができると言い残し去っていきました。福岡に帰ってきた雁齋屋敷内に立派な稲荷堂を建立し、それから鶴原家は多いに繁盛し、秘伝の熱冷ましのお薬とともに狐の恩返しの話は城下町福岡の民話になっています。
その後、雁齋の孫、雁林の代に、大火事が起こり町内に燃え移りそうになった時、雁林の屋敷から大きな白狐が飛び出してしっぽを一振りし、風を起こして屋敷を火から守ったそうです。

この鶴原家のお墓は、香正寺にあり、雁林のお戒名にも狐の一字が入っています。

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